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【読書日記】BG、あるいは死せるカイニス

題名: BG、あるいは死せるカイニス 著者:石持 浅海 【概要】 星降る夜、天文部の観測会に参加したはずの姉が何者かに殺害された。 男性化候補の筆頭で、誰からも慕われていた姉が、何故? さらに期末試験が終わった日、姉の後継者と目されていた小百合までもが被害に。 姉が遺した謎の言葉“BG”とは果たして何を意味するのか―。 全人類が生まれた時はすべて女性、のちに一部が男性に転換するという世界を舞台にした学園ミステリの意欲作 10年近く前に読んだ本で、同じく10年近く読んでいないのに、未だに印象に残っている本の一つです。 人類が雌性先熟(女性として生まれてから途中で男性に性別が変化すること)の世界でのミステリー作品。 ※ちなみに雌性先熟の生物は実際に存在する。 wiki参照 ミステリーとしての目新しさや斬新さというのは私はそこまで感じなかったのですが、人々の心の動きの描写がものすごく印象に残っていて、今でも時々思い出す作品です。 新卒の就職活動の時に最近印象に残った本としても話をした記憶があります。 よろしければご一読ください。

東京駅~銀座駅散策

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4/20の土曜日の午前中、東京駅~銀座付近を散歩してきました。 11時くらいに東京駅に到着、ぶらぶら歩くも特に面白いこともなくお昼。(少し家電量販店に寄ったくらい) お昼になったので地下街に入り、良さげな店に入りメニューを注文。 注文待っている間にふと気づく、先輩の送別会を開いた店であることに。 (幸の鳥: https://r.gnavi.co.jp/gacm901/ ) 自分の記憶力に呆れつつ、ランチ。 鳥がものすごく美味しい。 そのあと食パンがおススメと社員の人から紹介していただいた店に向かう。 (銀座に志かわ: https://ginza-nishikawa.co.jp/ ) 歩いていると途中で警察博物館なるものを発見。 銀座辺りには滅多にこないので、見学。 子ども連れの親子が多くいて、警察の服を試着したり、白バイに試乗したり、推理ゲームで遊んだりと結構内容は豊富でした。 子どもたちの声を横目に警察の歴史を眺めたり、置いている本を読んだりして小一時間ほど過ごしました。 元々目的だったパン屋へ。 少し迷いながらも到着すると、なんと行列。 しかも整理券を配っているだけで、受取にはまた来る必要があるとのこと。 この後用事があったので購入を断念。泣く泣く帰宅。 とまあ特に何かあったわけではありませんが、そこそこの距離も歩けたし、普段だったら絶対行かないようなところにも行けたので、充実した休みだったのではないかと思います。 今日のところはこんな感じで。

里帰り

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休みの土日(4/20、4/21)を利用して大阪に里帰りしてきました。 土曜日の東京駅の新幹線ホーム。 帰りの新大阪駅の新幹線ホーム。 実家に帰って何をしたとか話をしたとかはありませんが、久しぶりに顔を見て話をするだけでも随分気持ちが変わるものなんだなと感じました。 ホント自分にとってありがたい存在だなと思いました。 また今日から頑張りますか!

敵なんて世界にいないのだ、きっと

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今朝ふと思い出した。 そういえば以前、自分が敵だということの意図が全く理解できないというようなことを書いたことがある。 そしてそれはいまだに変わっていない。 過去の自分に驕ることなく、過去の自分が達成した目標を超えることが大事ということはわかる。 ここに異論はない。 自分のサボろうとする心、怠けようとする心を乗り越え、目的・目標に邁進する必要がある。 これもわかる、異議は全くない。 だから敵は外にはいない。 ここも特に別の意見はない。 だから敵は自分である。 ここはまったくわからない。 何かが起こったとき、何かをしようとしたとき、一番近くにいるのは言うまでもなく自分である。 その一番身近にいる人が敵だなんて想像はしたくない。 わかりやすくするために、自分以外の一番身近な人が実は敵でした、なんて状況だと仮定してみてほしい。 こんな状況で安心して何か成し遂げようとすることができるのだろうか? 過去の成功に驕らない、サボろうとしない、ということは、自分を敵と認定しなければできないことなのだろうか? こういうことを諭してくれる人が自分以外にいるとすれば、その諭してくれる人はむしろ味方なのではないだろうか? そんなことを思います。

SNS炎上の火種が増えたのではなく煙が見えやすくなっただけでは?

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この前の大戸屋のバイトテロを始めとして、不適切な行為を撮影した動画をSNS上に上げて炎上するというニュースを見かけることがあります。 Twitterに上がればバカッターなんて名称で呼ばれていたりしますね。 何であんなことするんだろう?みたいな話で、確かに教育の問題云々というのはあるのかもしれませんが、誰かが言っていたけれど、そんなに大騒ぎするほどのことだろうかと思わなくもない。 (参考: むしろ「バカッター」が少ないことに驚く ) 参考としたリンク先の内容は全て同意というわけではないけれど、タイトル名であるように、個人的にもバカッターは少ない気がしている。 いや、少ないというと書きたいことと異なる。 バカッターというより、大本の不適切な行為の数自体は変わっていないのではないかと私なんかは思う。 ただそれが世間の目に触れやすくなったというだけの話なのではないだろうか? 動画が炎上するには、 1.動画が容易に撮影できること 2.動画が容易にアップできること 3.動画が大衆の目に触れる場所に置けること これらの条件を満たす必要がある。    1.動画が容易に撮影できること ひと昔前は、動画を撮影しようと思えば、重たいカメラをわざわざ持っていく必要があった。 それらのカメラも小型化が進んだとはいえ、日常的に持ち歩いているという人は少ないだろう。 翻って、今や携帯電話を持っていれば、ボタン一つで撮影することだってできるようになった。 (初めてフューチャーホンにカメラ機能が付いただけでも話題になったのを覚えている) 動画を撮影するための機材を持ち歩いているということを一切意識することなく、常時持ち歩いているような状況である。 撮影の際に難しい設定も全く必要がない。 何か行動しようとするときに、撮影しようとするハードルがものすごく下がっているというのは事実である。    2.動画が容易にアップできること 基本的に動画データというのは容量が大きい。 画像×音声データになるので、容量は自然と大きくなる。 今やYoutubeやTikTokが台頭してきて動画をアップするのは当たり前になったけれど、動画を上げることがここまで出来るようになったのは、意外に最近だったりする。 私が小学生のときなんかは画像ファイルすら扱うのも

日曜の散策

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4/14日曜日、19卒でMAP経営に入社してくれた新入社員の方に誘っていただき、杉並区をぐるっと散策しました。 JR沿線(高円寺駅~荻窪駅)と丸の内沿線(東高円寺駅~荻窪駅)を、 それぞれ駅を行ったり来たり、駅の周辺をぶらぶらしたりして過ごしました。 歩数計とかを持ち歩いていなかったので、正確な距離はわかりませんが、駅と駅の間だけを地図で調べると、ざっくり7.0kmくらいです。 昼過ぎに集まって食事合わせて21時に解散なので、ほぼ丸一日ですね。 普段外に出ない人間が、それだけの距離を歩くと中々疲れましたが、良い時間を過ごすことができました。 誘ってくれて嬉しかったです。

寄付はモノを送るよりお金を送ったほうが救われる人が多いという経験

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ここ1年で本の寄付を何回か行いました。 本の寄付とはいうものの、現物での寄付(寄贈)もあれば 市への寄付で図書館などの公立施設に使ってくださいとお金を納めたこともあります。 その中で試行錯誤の上、気づいたことや感じたことをまとめてみようと思います。 まず言いたいことは、誤解を生むかもしれませんが、 モノを送るよりお金送るったほうが圧倒的に良いということです。 モノを買ってから送ろうとか思うなら、そのままお金を送ったほうが良いです。 経験上、そう感じます。 皆さんも考えてみてください。 全く興味ないもの(もしくは嫌いなもの)で、5千円相当だよってもらうより、 千円の現金もらって自分で好きなもの買ったほうが嬉しくないでしょうか? これはそういう話と同じだと私は思ってます。 図書館からすれば、読まれるかどうかわからない本を何冊も引き取るより、 今流行りの本を1冊でも買うか、図書館の修繕やイベントに充てた方が、 よっぽど図書館の発展につながります。 少し話は変わりますが、あるFP(ファイナンシャルプランナー)の方から聞いた話で、 災害に遭われた方が「お金があれば引っ越しも出来る、好きなものも買える。でもモノをもらっても出来ることが限られる」という話を聞いたことがあります。 災害時に食料とかも送られているのを見ることがありますが、食料系はどうしても保管期限があります。 一方お金は(多少価値の変動はあれど)いつまで持っていようが大丈夫です。 またモノは使える使えない、言い換えれば受けとる受け取らないの判断が必要です。 さっきの保管期限の問題も然り、保管場所の問題が出ます。 災害時に寄付の受け取りを拒否したら批判が殺到するなどのニュースを聞きますが、批判している暇あったら金送れという話でしかありません。 本当に送り先のことを思うのであれば、批判メッセージ一つ送る前に1円でもいいから送れというだけです。 寄付するときはどの団体に寄付すればいいか、のような話になりがちです。 あの団体は信用できないとか詐欺ではないかなんて話はどこでも聞きます。 ただ寄付先だけを見て、寄付するものを見ないでは片手落ちです。 誰に何を届けたいか、という2軸で考えるようにしましょう。 私は大学時代、公立の図書館に通い詰めていました。